2002年11月 

 魚と餃子は遠くて近い存在である。
 何故かって? それは、約1ヶ月の間、毎日、きときとコリコリの魚を食べ続けてみれば分かることだ。
 今回の魚特集のロケハンのポイントは、「その店が、いかにいい魚を仕入れ、うまく調理しているか」ということ。となれば、“造り”を見るのがいちばん分かりやすい。そうして、1軒の店で造りともう2品ほど頼み、それを毎晩2〜3軒ハシゴし続けるのだ。
 魚にまみれて2週間目。だんだんと胃の調子がおかしくなってきた。粘膜という粘膜に魚の脂がこびりついた感じで、生ものを食べ過ぎた時特有の冷えもある。といっても、これが仕事。その日も3軒ロケハンし、「いつまで、魚が続くんだろう…」と溜息をついた帰りの電車の中で、ふと“ギョーザ”が頭をよぎった。アツアツで皮が
カリッと香ばしく、噛めば肉汁がジュワ〜ッと広がる、刺身とはまったく異なる味わいの餃子である。いったんそう思うと、「この胃を救ってくれるのは、餃子しかない!」と、頭の中、口の中とも餃子!餃子!のオンパレ−ド。すでに腹十二分であるにもかかわらず、甲子園で途中下車して、餃子が美味しいとウワサの店に駆け込んだので
あった。
 次の日も同じ。帰りの電車の中で、またもや「ギョーザ!」となり、「そういえば、甲南山手に色んな餃子が食べられる店があったな」と、今度は下車駅をわざわざ通過して、閉店まぎわの店にすべり込んだ。
 魚を食べ続けて3週間目ともなると、もう、パブロフの犬状態である。胃が魚の脂を拒絶するのに比例して、「ギョーザ!」発作は増えるばかり。しかもその晩は、特に最後に入った店の魚の鮮度がイマイチで、口の中が生臭さでいっぱい。臭い魚が唇にベタ〜と貼り付いている感じで何とも気持ち悪く、すっきりとした辛さの山椒油で
食べる北京餃子の店へ鼻息荒く駆け込んだのであった。
 カウンターだけの小さな店だが、隅っこの2席が空いていた。そこへ座ろうとすると、横から「あ〜ダメダメ!ここは支社長と部長の席なんだよぉぉ〜。もうすぐ来るからさぁ〜」と、赤ら顔の酔っぱらいサラリーマンが阻止する。むむむ、ならば空くのをしばらく待とうかと店内を見渡せば、なんと、全員酔っぱらいサラリーマンの一団で、どうやらここで会社の飲み会を催している様子だ。むむむむっ。確かにこの店は安くて、2000円あれば充分たのしめる。けど、いくら不況で高い店では飲めないからって、こんな小さな店のカウンター全部を何時間も占拠するなんてあんまりちゃうん?と、ますます鼻息が荒くなってきた。私は純粋に餃子が食べたいだけ、酔っぱらいは出てけーっ!と、叫びそうになったが、なにぶん相手はすでに出来あがっている。
 店のご主人も「スミマセン」と、申し訳なさそうにしているので、ここは引き下がることにした。というのも、もう1軒こころあたりの“ギョーザ”の店があったからだ。
 しかし、これが悪夢のはじまり。その店に辿り着けば、遅い夏休みのため「臨時休業」。もうこうなったら、水餃子でもいいやと、これまた違う店に向かえば「定休日」。ならば、と駆け付けた店は「本日は終了しました」。ガルルルル〜ッ。「これもあれもそれも、全部、あの東京弁の酔っぱらいサラリーマンが悪いんじゃいっ!」。なかば半泣きになりながら、もう魚のことなんかすっかり忘れて、飢えた野良犬のように餃子を求めて神戸の夜を彷徨ったのであった。
 次の日の晩、同じく魚ロケハンづけのライターさんにその話をすると、「ホンマ?俺もロケハンの後、なんか食べたくなって、もう4回も餃子食べに行ったわ」。なーんだ、私だけじゃなかったのね。と、またまた二人で餃子屋へ。
 ということで、生魚を食べ続けた人のみぞ知る、魚と餃子の深い縁。
 よーし、来年は、魚特集と餃子特集を同じ号で企画してみようか。ロケハンが同時にできて、一石二鳥でしょ? (的)