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2003年7月 白昼夢のような、夕暮れのぬる燗
私が一番お酒を飲みたくなるのは夕刻どきだ。空が薄桃色に染まるのを合図に、口の内側に急に乾きを覚える。そうなるともうダメだ。「うう、美味しいシャンパンが飲みたい」。居ても立ってもいられなくなる。
梅雨があける頃、夕暮れとはいえ、暑さが残り始めた初夏に私が好んで飲むのはシャンパンだった。 …………だった。そう、それも今は過去の話である。
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ロケハンとして入ったその店には、住宅街の静けさよりも更に静かな、外とは全く違った空気が流れていた。大袈裟に聞こえるかもしれないが、現実の世界ではなく、何かの物語の中に自分が迷いこんだような感覚。奇妙なドラマや童話に出てきそうな、そんな不思議な体験をしているよう。その不思議の国は、日本酒を愛する人達だけが暮らす穏やかなところで、誰もが優しい笑顔を浮かべ、ほんのりと火照った顔で、皆、何やら楽しそうな話に興じていた。
ボーンと柱時計が鳴った。
私の目の前には、利き酒をするための白猪口が置かれている。ご主人が丁寧に酒器を差し出し、ゆっくり静かに卓上に置いた。菊正宗のぬる燗である。ゆらゆらと揺れる酒の表面を見つめながら、すっと猪口を口元に運ぶ。立ちあがる温かな空気の流れと共に酒の香りが昇ってきて、私は大きく息を吸った。ひと口含めば口の中に、そして、喉を通って身体の一番中心から、さざ波のように酒の甘みとぬくもりが広がっていく。もう一度、私は大きく息をする。今度は、満足のため息だ。
窓は閉まっているはずなのに、どこからか、心地よい涼しい風が吹き込んでくるようだった。その風の冷ややかさに、私はすっかり夜も更けていることを知った。目の前には、まだ、先程の猪口が置かれてあり、酒器にはとろ味のある酒がたっぷりと入っている。確かに何杯か飲んだはずなのに、酒はまったく減っていないかのよう。それでも、気分はとてもよく、心は満たされていた。
こんな気持ちになれたのは、夏の夜のぬる燗のせい、そう気付いたのは、しばらく経ってからのこと。
シャンパンに興奮していた時期を過ぎて、新しく知った燗酒の楽しみ。
夏の夕暮れの、不思議な時間(清)
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